野辺地・浜町の常夜灯

野辺地・浜町の常夜灯

下北半島の付け根に位置する野辺地町は、下北地方と南部・津軽地方を結ぶ交通の要衝である。かつて、この地の野辺地湊は海運の一大拠点として大いに栄えた。往時の繁栄を今に伝える史跡として、「浜町の常夜灯」を紹介したい。
浜町の常夜灯は、現存する日本最古の常夜灯と言われている。1827年(文政10年)に野辺地の廻船問屋・野村治三郎によって建てられ、関西の商人・橘屋吉五郎の協力を得て海路運ばれてきたものである。常夜灯には毎年3月から10月まで夜ごとに灯がともされ、航海の安全を守る灯明台として野辺地湊に行き交う船を見守ってきた。
江戸時代、大坂と蝦夷地を結ぶ日本海航路(北前船)は、物資輸送の大動脈であった。野辺地湊はこの航路への盛岡藩の窓口で、南部産の大豆(関西の白みその原料)、尾去沢の銅、下北産昆布などを積み出していた。大坂からは塩・木綿・日用品などを積み入港する船でにぎわった。湊には湊役所・遠見番所・銅蔵・大豆蔵などの施設や廻船問屋の船荷蔵があり、船は沖合に停泊し、はしけ船によって船荷を運んでいた。
陸路を移動するモータリゼーションの時代は、実は最近の話で高度経済成長期以降のことである。それ以前の輸送は海運が主で、港町は大いに栄えたものである。野辺地は昨今でこそ交通の要衝としての役割は小さくなったが、史跡を随所に残す興味深い町である。なお、浜町の常夜灯周辺は、現在「常夜灯公園」として整備が進められている。

参考:http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kitamae/kikou/kikou.htm