寒立馬(かんだちめ)

寒立馬

「まさかり」の形をした下北半島。その北東端にある尻屋崎は、寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる馬が放牧されています。寒さに強く、足がとても太いことが特徴です。
「寒立馬(かんだちめ)について」下北方言詩)によれば、

東通村の海岸地帯には、藩政時代より田名部(たなぶ)馬と呼ばれる小柄で耐寒性と持久力に富み、粗食に耐える馬が飼育されてきました。田名部馬は南部馬を祖とし、明治・大正・昭和と、軍国主義を歩んだ日本の歴史の中で、軍用馬として改良されてきました。なかでも、この田名部馬とブルトン種(フランス産の大型肉用馬)を交配して、独自の農用馬(肉用馬)に改良したのが尻屋の寒立馬です。寒立馬は日本在来種として認定されているわけではありませんが、その形質に今は消失した南部馬の姿を見ることができます。

とのこと。青森県東部(南部地方)は藩政時代より馬の飼育が盛んで、寒立馬はその文化を今に伝えているのです。「寒立馬」という名前について、引き続き引用すると

この名前は昔からあったものではありません。もともとは「野放し馬」と呼ばれていました。現在のように寒立馬と呼ばれるようになったのは、昭和45年、東通村立尻屋小中学校長であった岩佐(いわさ)勉先生が、
「東雲(しののめ)に 勇みいななく 寒立馬(かんだちめ) 筑紫ヶ原の 嵐ものかは」
と、短歌に詠んだのが初めでした。

「寒立馬」という名前は比較的最近になって付けられた名前だったのですね。卓越したネーミングセンスに脱帽です。衝撃だったのが、もともとの「野放し馬」という旅情も何もない名前。
この名前だったら全国的に有名になることもなかったでしょう・・・。
下北道中記 第四章:尻屋崎の寒立人青イ森ニ居リマス)で田酒男さんが書かれているように、「ウマイ(美味しい)」を日常的に「うめぇ!」「んめ!」と呼ぶ方言からの類推で、「馬」を「メ」と呼んだのかもしれません。
今回訪れた時は「やませ」の影響で、冷たい風が吹きつけ霧が立ち込める悪天候でした。尻屋崎灯台付近に馬の姿はなかったのですが、尻屋崎に向かう道路のゲート付近で草をはむ寒立馬を見ることができました。
霧が立ち込める中では寒立馬が浮かび上がるように見えて、それはそれは幻想的な世界でした。霧の中の寒立馬もなかなか絵になります。