寺山修司の足跡をたどって・小田九(おだく)

小田九

青森が生んだ奇才・寺山修司(1935〜1983)はまさに時代を駆け抜けた。48歳の若さで亡くなってから四半世紀が経過する今年、青森県立美術館「寺山修司 劇場美術館:1935〜2008」が開かれる(開催は2008年4月1日より)。
展覧会が開催されるよりも一足早く、寺山修司ゆかりの場所を訪ねてみたくなった。寺山と青森の関係を探るなら、コチラのページが大変役に立つ。1965年、寺山は青森放送のPR誌にこんな文章を寄せている。

「わが夏帽どこまでころべども故郷」
人は誰でも、書くと感傷的になる時か所を持っている。私にとって、それはどうやら『青森』のようである。大観堂での本の立ち読み。東京庵の青い色をした天ぷらソバ、小田九の塩っからいラーメン、北谷書店の上にはじめてできた喫茶店。そうしたものと私との間には、もう十年の月日がしきっている。しかし私には冒頭にあげた高校時代の俳句が、つい昨日のもののように思い出されてくるのである。
(「エリア青森」1965年版掲載「青森と私」より)

東京庵と北谷書店はすでに現存しないが、大観堂と小田九(おだく)は今でも堤町で営業している。今回は「小田九(おだく)」を訪問してみた。

「小田九」はとてもレトロな大衆食堂だ。時の刻みを忘れたかのように、いや、失われた時を忘れぬかのように、「昭和」がそのまま生き残る店内である。使い古された足の細いテーブルがいくつも並び、薄暗い壁には大きな文字でメニューがいくつも書いてある。寺山が思い出として語る「ラーメン」(450円)を頼んでみた。平成も20年になるというのに、ラーメン1杯が450円とは驚きの安さである。

醤油とダシの優しい香りがふわりと鼻をくすぐる。試しにスープを飲んでみると、寺山が書いたように「塩っから」くはなく、むしろ、甘みがあってまろやかなスープである。麺はとても柔らかくコシはほとんどないが、どんぶりいっぱいに敷き詰めたかのようである。値段もビックリだが、ボリュームにもビックリである。
麺の量がかなり多いので、箸で麺を手繰ると巨大な麺の玉が出来上がる。これでは口に入るサイズではないので、少しずつ手繰ることになる。麺とスープの絡みが良いので、麺を食べているとスープも一緒に消えていく。麺もスープもとても優しいので、スルスルと食べてしまう。メンマは甘く、チャーシューも優しい味わいだった。個人的にはとても好きな味のラーメンだ。
店内はかなりレトロだけど、寺山修司が駆け抜けた時代を彷彿とさせるお店。お店の出口で暖を取っていたお婆さん(看板娘さん?)の笑顔が忘れられない。
 
http://www.city.aomori.aomori.jp/koho/imamukashi/im006.htmlによると、「小田九」は歩兵第五連隊(現青森高等学校)方面の乗合馬車の発着所で、かつてはとても栄えたという。ちなみに、荒川・大野方面へ行く乗合馬車の待合所は、柳町蕎麦屋「カネシメ」であった。店に歴史あり。
 
小田九(おだく)
青森市堤町1丁目11-10
017-722-1484