前略 横浜町の海岸より

下北半島の細長い柄の部分、青森県横浜町。強風に弱いことで有名な大湊線はまなすベイライン)の線路のそばに寄ってみた。ただ気まぐれに。

晴れた日には青い空と青い海が心地良く、海岸には荒涼たる風景が広がるのみ。何もかも忘れて、ただ佇(たたず)むが良い。

赤茶けた線路を見ていると、冒険心が沸いてくる。月並みな連想であるが、頭の中のBGMは、ベン・E.キングの「スタンド・バイ・ミー」となる。

スタンド・バイ・ミー

スタンド・バイ・ミー


海岸に打ち上げられるプラスチックごみ。その中にはハングルの書かれたものも見つかる。海を越えて朝鮮半島と繋がっていることを再認識する。
 
この海岸には、ひっそりと文学碑が立っている。

一つは「幸田露伴文学碑」(建立1993年)。
碑文をそのまま記す。

左に絶えず海を眺めつ
茫々(ぼうぼう)たる原中(はらなか)を
歩まするに菖蒲(しょうぶ) 玫瑰(はまなす
遠く近く 咲きにほひ
さまヽヽ(さまざま)の禽(とり)の歌ふ
声長閑(のどけ)く立てる座れる
睡(ねむ)れる 当歳 二歳
三歳の馬どもの各(おの)が
じし自由に振舞へる
も我等の眼には
新しゝ(あたらしし)

岩波書店
露伴全集 第十四巻(易心後語)
(よみがなは筆者)

コチラを参考にして紹介。
明治の文人幸田露伴が1892年(明治25)にこの海岸を通った時の文章が「易心後語(えきしんこうご)」にある。1892年7月10日から8月15日までの紀行を記したもので、石碑はその一文を刻んだものである。この辺りの海岸は、1991年(平成3)の「月刊現代」の新日本百景に選ばれている。
碑文は、東京から仙台・盛岡・野辺地を経て恐山に向かうとき、石碑辺りの情景を映し出したものと思われる。石碑の周辺には、ハマナスも植栽されており、陸奥湾を見渡せる。幸田露伴青森県、下北を訪れたことを伝える。
 
もう一つは「大町桂月文学碑」(建立は2000年)。

一沼に 馬群れ十里 尾花かな
 
大正十一年九月九日 桂月
 
東北本線野辺地駅より右に分岐すれば、汽車は
絶えず野辺地湾に沿ふ。横浜を始め、部落はいくつも
あるが、概して薄(すすき)生えたる砂原、
一望十里、放牧の馬散在して嘶(いなな)きあふ。
内地に珍らしき光景也。
紀行文−「陸奥の海岸線 八 恐山」より抜粋
(よみがなは筆者)

コチラを参考にして紹介。
町制40周年、菜の花フェスティバル10周年を記念して建立された。文人大町桂月は1922年(大正11)、下北半島一周の旅の途中、野辺地駅から大湊線の列車に乗り横浜町の風景を眺めている。当時の紀行文には、横浜周辺の雄大な景色に感嘆した様子が記されている。
桂月は1922年(大正11)9月9日、下北半島探勝の途上、吹越地区の情景を詠んだ。このときの俳句・紀行文を刻んだ石碑が、陸奥湾を見渡せる場所に建立されている。大町桂月は十和田・八甲田を始め県内の景勝地をこよなく愛し、ついには蔦温泉に本籍を移して、終のすみかとした。
 
青森県下北郡横浜町雲雀平 国道279号沿い

<参考>
http://apti.net.pref.aomori.jp/touristattractions/index.html
ハマナス - BLUE SAPPHIRE