メモ・津軽じょんがら節

知っているようで知らない「津軽じょんがら節」。インターネットで集めた情報をメモとして残しておきます。
 
つがる-じょんがらぶし 【津軽じょんがら節】
〔じょんがらは「ちょんがれ」の訛(なま)り〕青森県の民謡で、旧津軽領の芸人たちが舞台で唄ってきたもの。新潟県の「新保広大寺」が瞽女(ごぜ)によって伝えられ、津軽三味線の伴奏とともに発展した。「津軽よされ節」「津軽おはら節」と合わせて津軽三つ物といわれる。(三省堂 大辞林
 
津軽じょんがら節(つがるじょんがらぶし) [ 日本大百科全書小学館) ] .青森県津軽地方の民謡。同地方の坊さま(座頭のこと)とかホイド(本来は祝詞人(ほぎびと)の意が乞食(こじき)の代名詞になる)とよばれる遊芸人たちが、門付(かどづけ)を中心に歌ってきたもので、その源流は、天明(てんめい)初年(1782ころ)新潟県十日町市下組(しもぐみ)新保で生まれた『新保広大寺』である。それが越後(えちご)瞽女(ごぜ)などの手によって長編の「口説(くどき)節」に仕立てられると、諸国の遊芸人の間に広まり、坊さまたちの持ち唄(うた)になっていった。ところが瞽女の掬(すく)い撥(ばち)多用の三味線技法が津軽で異常に発達し始め、加えて門付にはだれにもわかる芸ということから、太棹(ふとざお)でじょうぶな犬皮、一の糸を太く、撥は厚手でたたきまくる大きく激しい技法が発達、明治に梅田豊月(ほうげつ)という名人が出現し、今日の津軽三味線が確立された。しかもちょうど同じころ、浪花(なにわ)節の台頭で『津軽じょんがら節』は『津軽浪花節』としての舞台芸に発展していった。「じょんがら節」という曲名は、関西の「チョンガレ節」(祭文の大衆化したもの)と同種の語り物の意味らしい。 [ 執筆者:竹内 勉 ]
 
津軽じょんがら節』の「じょんがら」とはどういう意味か。(出典)
回 答
諸説あり。主なものは次のとおり。
1.浅瀬石(あせいし)城主・千徳政氏(せんとくまさうじ)を滅ぼした大浦為信がその墓をも暴こうとしたことに神宗寺役僧・常縁が抗議し、浅瀬石川に身を投げた。その地は「常縁河原」、後に「上河原」(じょんがら)と呼ばれた。「じょんがら」は「常縁河原」のなまり。
2.江戸時代、阿呆陀羅経を語り物にして節をつけたものを唄う門付け芸人を「ちょんがれ坊主」といった。その「ちょんがれ坊主」の唄「ちょんがれ節」が各地に広がり、輪島ちょんがり節や津軽じょんがら節となった。「じょんがら」は「ちょんがれ」のなまり。