八戸三社大祭

八戸三社大祭

青森県八戸市で毎年7月31日〜8月4日に開催される「八戸三社大祭(さんしゃたいさい)」に出かけてきました。この祭りは豪華絢爛(けんらん)な山車(だし)の数々が見ものとなっています。「三社」とは、おがみ神社*1新羅神社、神明宮を指します。
八戸三社大祭は、1721年(享保6年)に法霊大明神(現在のおがみ神社)が神輿行列を仕立て、長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことに始まります。
やがて、八戸藩の有力な商人が買い入れた人形を載せて担いだ「屋台」や「虎舞」など、町民で編成した行列が参加するようになり、まちの安泰や豊作を祈願する大規模祭礼として発展していきました。
1884年明治17年)に新羅神社が、その3年後には神明宮の行列が加わって三社の祭りとなりました。それまでの同じ人形を屋台に載せるスタイルから、毎年新しく作った山車を運行する形へと変化し、現在の祭りに至ります。

八戸三社大祭では長い長い行列が続きます。神社の旗を持つ人に始まり、猿田彦(天狗)、虎舞、御神馬、法霊神楽(獅子舞)*2、・・・と延々と続きます。猿田彦(天狗)は一本歯の下駄を履いていました。
なお、すべての行列を見ようとすると、何と3時間もかかります。こんなに長い行列は見たことがないですね。
 


神社の列に、町名を背負った豪華絢爛な山車の行列が加わります。笛と太鼓とともに「ヤーレヤーレヤーレ」の掛け声を掛けて練り歩きます。壮麗豪華な山車は、民話や歌舞伎などを題材に、様々な趣向を凝らして作られたもの。あまりの壮麗さに言葉を失いますよ。
上の写真は「山吹山車組」の「川中島決戦」。最優秀賞を受賞された山車だそうで、絢爛豪華さも桁違い。あまりにスケールの大きな装飾で画面に入りきりませんでした。

パンフレット等に掲載されている山車の写真の多くは、装飾を広げた状態のものが多いですが、実際の行列では所々で装飾を広げるに過ぎません。
「根城新組山車組」の「新田義貞」で紹介しましょう。上の写真が装飾を広げる前で、下が装飾を広げた姿です。

どこで装飾を広げるかは目安はあるのかもしれませんが、あまり決まっていないようです。(しかし、いろいろ探索した結果、高確率で装飾を広げてくれる場所を見つけ、写真を撮りまくりました。)

*1:「おがみ」の字は、雨カンムリの下に「口」を3つ横に並べ、その下に「龍」を書きます。

*2:獅子舞が歯を一斉に鳴らす「歯打ち」が見ものとなっています。