寺山修司 劇場美術館:1935〜2008

青森県立美術館では『寺山修司 劇場美術館:1935〜2008』が開催されています(2008年5月11日まで)。寺山修司という人物は青森県出身者でありながら、青森県民にあまり理解されていない人物の一人ではないだろうか。(写真は青森県立美術館の屋根にたたずむ「寺山修司」)

寺山修司(1935〜1983)の活動は多岐に渡っており、劇作家・演出家・劇団主宰・俳人歌人・詩人・映画監督・競馬評論家など様々な肩書きを持っていた。
寺山が凄いのは自身の創作活動だけに留まらず、一流の芸術家を多数巻き込んで巨大なムーブメントに高めたことにある。1967年に立ち上げた「演劇実験室◎天井棧敷」はその代表例で、横尾忠則、丸山明宏(美輪明宏)など存在感のある芸術家とのコラボレーションは、現在においても目新しいものがある。
あしたのジョー力石徹の葬儀など、寺山の活動の社会的衝撃は大きく、匹敵する人物を現在に見つけるのは難しい。この独特の存在感から、ウォーホールマリリン・モンローのように、寺山修司の顔は象徴化されることになる。写真家・荒木経惟は全員が寺山の顔を付けた集合写真を残した。ちなみに個人的な印象であるが、寺山の顔は典型的な「青森顔」と呼べないだろうか。
寺山の芸術は一見すると猥雑なものも多く理解しがたい世界も多いが、背景にある性や差別などに対する根源的な問いが分かるととても興味深い。寺山を含め、高度経済成長期に活躍した芸術家たちの多くは、戦争を直接体験しているため、人間が持つ不条理の表現は極めて鮮烈である。それは戦争そのものが最も不条理な存在だからであろう。
本展覧会では、5つの企画展示室をそれぞれ寺山の小宇宙と見立て、文学、演劇、映画、美術、音楽、スポーツといった様々なジャンルの作品および資料の展示を行っている。多岐にわたる寺山の活動を一望し、その意義を見直すには格好の機会となっている。
私自身は演劇の展示が最も興味深く感じられた。「天井桟敷」の演劇そのものだけでなく、ポスターに見られる芸術の超越性もまた、現在の目を通じてもなお新鮮である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左:「書を捨てよ!町へ出よう!」ポスター 宣伝美術:及川正通 1969年
右:映画「書を捨てよ町へ出よう」ポスター デザイン:榎本了壱 1971年(資料提供:人力飛行機舎)
寺山にとどまらず、60〜70年代の演劇や漫画に見られる不条理な描写は、いまだ衝撃を与えるに十分な力を持つ。
この展覧会を見れば、いかに寺山修司が芸術世界の起爆剤であったか知ることになるだろう。一人でも多くの青森県民に、そして全国の寺山修司ファンに是非ご覧頂きたい。