下北周遊・佐井・大間

大間崎

仏ヶ浦から国道338号を北上すると、センターラインが消えて勾配のきついくねくね道が続きます。「酷道」の域に達していますので、運転初心者にはオススメできません。こんな道路と格闘するうちに、佐井港にたどり着きます。津軽海峡文化館アルサスでは食事を取った後、佐井村海峡ミュウジアム(ミュージアムをわざわざ訂正している)を訪問。小さな展示室なのですが、私には大変興味深いものがありました。


江戸時代、北前船によって蝦夷地(北海道)と本州、陸奥と上方などを結び、佐井は重要な交易拠点として大いに栄えたようです。海運の記録から大坂や三河などとの交易も分かっているそうで、経済的な交流はかなりさかんでした。中国大陸(満州)と北海道を結ぶ「三丹交易」(三丹とは満州を指す)も行われ、いかにも中国風の絹織物や陶器なども展示されていました。
こういう史料を見ると、小中学校で習う鎖国の概念は誤解を招くものだと分かります。国という形がある以上、異国人を排除しながら秩序を守るのは当然のことです。(現代の日本も入国管理局により厳しく取締りが行われていますが、鎖国とは言いません。)アイヌ民族満州民族との交流を通じて、進取の気質も育まれたことでしょう。僻地と思われがちな佐井に、名医がいたことは意外なことではなく、むしろ当然の結果だと思います。*1


いつから「僻地」とか「過疎」が問題になってしまったのでしょうか。中央集権的なシステムは今までは経済成長に貢献したでしょうが、成長の先にあるものが過疎問題であるならば多様性を犠牲にした貧困なシステムとしか言い様がありません。大いなる見直しが必要でしょう。話題は変わりますが、丸太から船を作る伝統技術がパネルで紹介されていたのですが、継承者がいないため完全にすたれる技術になると知って、大変寂しい気持ちになりました。


本州最北端の大間崎は完全に観光地化して騒がしく、何の情緒もないツマラナイ場所でした。写真は大間崎にある「こゝ本州最北端の地」の石碑ですが、観光客が多くて写真を撮るのも大変でした。国道から大間崎までは道がやや複雑なので、もう少し丁寧な案内が欲しいところ。下北周遊シリーズはこれで最終回。有名スポットだけを巡ったので、今後はもっと掘り下げていくような周遊を目指します。

*1:佐井村出身の三上剛太郎という医師が日露戦争において手作りの赤十字旗で多くの人を助けた逸話が有名である。