「縄文と現代」展

小谷元彦「エレクトロ (クララ) 」

青森県立美術館の企画展第2弾、「縄文と現代」展に遅ればせながら行ってきました。結論から言うと非常に面白かったです。会期終了(週末の12月10日)直前ですが、未見の方にはオススメです。
正直なところ、青森だから縄文という安易な発想で、縄文土器を現代美術と並べて展示するという奇をてらっただけの展示なのではと疑っていました。現代作家の作品の中に縄文土器が並ぶ。現代作家の作品を縄文土器が囲む。実際の展示を見ていくうちに、表現スタイルも時代も何もかも違うはずなのに、何か見えないものでつながっているような不思議な感覚を感じるようになりました。
展覧会カタログにある企画担当者の言葉、「知識より感覚、理解よりも共感に訴えていくことを優先する」という術中にまんまと陥ったという感じである。縄文と現代の「共通性」を見つけ出そうという意図だったら、凡庸な展示になっただろう。縄文と現代の「親和性」をキーワードにして、頭で理解させず縄文と現代を錯綜させながら「体感」させていく展示に完全に飲み込まれました。
展示の最初では、岡本太郎の躍動感あふれる絵画が柵もなく間近で見られるようになっている。岡本太郎の筆致を目の前で見られたことにとても感動した。この激しい筆遣いに呼応するかのように、炎(ほむら)立つかのごとき縄文土器が並べられる。その名も火炎型土器である。
作者の体をそのままフライにし、ご丁寧にキャベツの上に盛り付けたような作品「まじまのからあげ」(間島領一)。これを取り囲むように縄文土器が並ぶ。この展示には、おそらく共通点はない。この展示で、今回の展覧会は「共通性」を探す展示ではないというメッセージを受け取ったように思う。土器は調理器具だから、からあげと共通項があるというマヌケな解釈をしてもいいだろうけど。
一番興味深かったのは、「ファルス、あるいは未来を切りひらく力」。このセクションは親和性よりも共通性を感じた。ファルスとは象徴としての男性器を示す言葉。生への執着、根源的な欲望、エロスを表現した現代作品が並ぶ。恥ずかしながら、今回の展示で小谷元彦会田誠山口晃などの作家を知る。縄文遺跡から出土した石棒も男性器を象徴化したもので、同じく生への執着や根源的な欲望を表現したものである。注口土器と呼ばれる急須型の土器には、注ぎ口の根元にふくらみを二つもたせて、男性器そのものを表すという驚きの表現が施されていた。これはいろいろな意味で前衛芸術ではないだろうか。
写真は小谷元彦「エレクトロ (クララ) 」2004年 高橋コレクション蔵 ©ODANI,Motohiko photo by KIOKU, Keizo courtesy YAMAMOTO GENDAI, Tokyo