上北鉱山跡

上北鉱山跡

青森県上北郡天間林村大字天間舘字南天間舘(位置図)。今この場所に住む人は誰もいませんが、1937年(昭和12年)から1973年(昭和48年)までの間、硫化鉄と銅を産出する「上北鉱山」がありました。戦前は「神風鉱山」と呼ばれ、戦後は経済復興とともに活況を極めて、最盛期には5,000人もの人々が暮らしたといいます。
唯一の連絡路は、車1台が通れる幅しか持たない未舗装の道路*1のみ。冬には積雪により唯一の道路は閉ざされて、完全な「陸の孤島」となりました。唯一の補給経路は一本の索道で、野内駅と結ばれていました。実に延長19キロ、支柱の数は159基、一番高い支柱は52メートルもあったそうです。採掘された鉱石を搬出するとともに、生活物資や郵便物を搬入しました。
決して便利とは言えない場所ではありましたが、小中高校、病院、映画館もある一大鉱山町でした。上北鉱山に住む人々は、季節の移ろいを肌で感じ、たくましく生きたことでしょう。


それが今は単なる廃墟。鉱山のシンボルだった選鉱場も、閉山後の火災によってコンクリートの壁がむき出しとなりました。現在は鉱害防止の中和施設が稼動しているに過ぎません。訪れた時は作業員の方が何名もいらっしゃいました。廃墟なので薄気味悪いのは事実ですが、かつての活況を思いを馳せて、静かにその場を去りました。


上北鉱山跡は、青森に来てからずっと訪れたい場所でした。
 
 
日本の現代史を今に伝える産業遺産として、観光地化する必要はありませんが、現状を保全してほしいと思います。私の青森生活で忘れられない思い出がまた一つ増えました。

今回、上北鉱山跡までは青森市田代平から県道「後平青森線(うしろたい・あおもりせん)」をマウンテンバイクで走りましたが、大変な苦労をしました。

参考:上北鉱山 (元上北鉱山住民の情報交換サイト)

*1:県道後平青森線