「くじらもち」の旅
「くじらもち」は日本各地に点在して残っているようです。
斎藤博之さんは、「くじらもち」は青森県以外に山形県にあるとのお話をされていましたが、当ブログ読者ホンズさんの情報により、広島県、宮崎県にも「くじらもち」があるとの情報を得ました。
青森県内には「くじらもち」を売る店が、鰺ヶ沢に2軒、浅虫に4軒、青森に1軒あります。
「鯨餅」(青森県鯵ヶ沢町)
鯵ヶ沢では、青海堂、村上屋の2軒が「鯨餅」を製造販売しています。
鯵ヶ沢・鯨餅食べ比べ - BLUE SAPPHIRE
久慈良餅 (青森県青森市浅虫)
青森市浅虫には「久慈良餅」を製造販売するお店が4軒あります。
「久慈良餅」(永井久慈良餅店)
「久慈良餅」(永井元祖久慈良餅本舗)
こちらの情報によると
浅虫の「久慈良餅」を始めた永井吉兵衛は、鰺ヶ沢の廻船問屋に婿入りしたものの、すでに時代は海上の交通から鉄路へと移り、商売は傾きかけていた。そこで、明治40年(1907年)、温泉街として賑わっていた浅虫に移って、鯨餅店を開いたのだった。この当時4軒あった鰺ヶ沢の鯨餅のいずれかに作り方を教わったらしい。生姜を入れないこと、胡桃を入れること、名前を「久慈良餅」にしたことは、吉兵衛の編み出したことだ。2007年でちょうど創業百年になった。
「久慈良餅」(菊屋餅店)
「くじら餅」(森山菓子舗)
以上2点は「ゆ〜さ浅虫」のオンラインショップでも購入できます。
くぢら餅(久持良餅)(山形県尾花沢市)
山形県尾花沢市の(株)明友が製造販売している「くぢら餅(久持良餅)」。
餅粉にクルミを入れ砂糖やみそ・しょうゆで味付けした保存食で最上地方では節句にお雛様にお供えする伝統菓子で、その昔、狩や戦へ出かけるときの携帯食で久しく持ち歩いても良い(変質しない悪くならない)餅として重宝がられた。
こちらの「くぢら餅」は、青森市浅虫のものと似た外見で、クルミを入れる点が共通ですが、味噌、醤油が入る点が大きく異なります。「久しく持ち歩いても良い」から「久持良餅」なんですね。
鯨羊羹 (広島県尾道市)
尾道銘菓 『鯨 羊 羹』
古来より海洋資源に恵まれていた日本人は、地球上最大の動物である「鯨」も例外ではなく、肉・脂・表皮はもとより、「鯨尺」の名があるようにその材料として「ひげ」までも無駄なく大切に利用してきました。現在では高価な食材となった鯨ですが、古くからの港町・尾道でも肉とともに、「おばけ」又は「おばいけ」といって、表皮の黒い部分とその下の「白皮」とよばれる脂肪層を薄く切って熱湯をかけ、流水でよく晒して酢味噌で食べる「さらし鯨」は極く一般的なたべものでした。
「鯨羊羹」は元は「鯨餅」といって、黒と白の二層の蒸し羊羹として江戸時代に記録が残っています。寒天の発見後、十八世紀後半頃より現在の羊羹に似たものが造られてきますが、「鯨羊羹」もそれに後れて現在の様になったと思われます。いずれにしましても、鯨の皮を意匠に取り入れ菓子にして愉しむ、私たち日本の先人達の美意識の高さと生活を豊かにする姿勢に頭が下がります。
斎藤博之さんが説明されている江戸時代の「鯨餅」のスタイルを今に伝えるようなお菓子です。製造中止の危機がかつてあったようですが、伝統を守るため近年再開されました(参考)。
鯨ようかん (宮崎県宮崎市)
宮崎市佐土原町の「安田屋」が製造販売する「鯨ようかん」。
こちらの情報が大いに参考になります。
米の粉を蒸し、小豆を練りこんだ餅と組み合わせ、独特の風味を作り出しています。佐土原町の銘菓と、ファンも多いようです。日持ちがしないため、現地でしか食べることができない「幻のお菓子」と言われてきたものです。宮崎空港1階売店で当日朝に作ったもの(数量限定)、東京にある「新宿みやざき館 KONNE」で冷凍されたものが入手できるようです。硬くなっても、電子レンジ等で蒸し直すことによって、作りたての弾力を取り戻すことができます。
このお菓子が生まれた歴史的背景は次のようなもの。
江戸時代、薩摩藩の支藩であった佐土原藩4代藩主島津忠高が26歳で早世。その子・万吉丸は2歳にも満たない年齢であったため、世継ぎを巡って松木事件という事件まで起こります。その混乱の中、幼い万吉丸の母・松寿院が「息子と藩が、大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」と願いを込めて鯨に似せた羊羹を作らせたと伝えられています。万吉丸は後に5代藩主(6代とも)島津惟久となり、名君と慕われたといいます。現在西佐土原の2件の店で製造販売がされています。街の欄干に鯨を見つけました。
この他、大阪の天満宮祭で鯨餅と鯨羊羹が献上されるそうです。(参考:http://yubeshi.hp.infoseek.co.jp/odoro/odoro21.html)
各地の「くじらもち」はお取り寄せできるものもあるので、食べ比べも面白いかもしれません。